梅雨の晴れ間

 
久しぶりの晴れ。気になっていたヤマグワの実を採集に被災者の方々と行った。ご覧の通り、熟してドドメ色なった実がたくさんある。小指の第一関節ほどの小さな実だがすこぶる甘い。子供の頃親に叱られても隠れて食べた思いでもあり、毎年の楽しみになっている。昔の裏磐梯の子供たちはビンに詰めて棒で潰してジュ−スにして飲んだとのこと。みんな両手を赤紫に染めて、時々摘まみながら唇も染めて約1キロの収穫。今年は何にしようか。ケ−キがいいな、奥さん頼んでみよう。

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浪江町に行ってきました

  我が家に二次避難でいらしている方の一人に、一時帰宅が許された。その方は身体障害があり
、一人では行動に困難が予想されたので一緒に行った。浪江町は精巧に出来た原寸大のジオラマをみるようなおもいだった。植物、牛などの動物は本物であることがジオラマではないことを教える。高速常磐道が建設途中で止まっている。そこに「100年安心・・・・〇〇建設」と大手ゼネコンの看板が立っていたのが、原発の事故が人災であることを想起させ、この国の抱えた問題の大きさを考えさせられた。南相馬の馬事公苑は一時帰宅のためのベ−スになっている。その施設は見るからに利用頻度の低い箱物の典型のような施設であった。そこに至るまでの事務手続きや一時帰宅の工程にはいわゆるお役所仕事そのものであった。しかし、体を動かし、被災者に向き合っている東電、支援する他の電力会社の人々の懸命さには、頭が下がる。組織の構成員としては当事者であるが、個人的には当事者ではないであろう、我々は東電の構成員ではないので当事者ではないが、国の原子力政策の推進をしてきた行政、政治家を選挙で選んできたと言う意味では当事者であろう。現場で象徴的であったのは、ネクタイに革靴で、きれいな作業着姿の経産省、見るからにアルバイトであろう保安院、汗だくで働く、誘導の職員までが頭を下げる東電他の電力会社の職員の姿。何か日本の社会の縮図、これも原寸大のジオラマかな。いつも割りを食っているのは現場。
 今回の震災に対し、当事者として、歴史を伝えて行く者として何をしたか、何が出来たか問われることが間違いないことを自覚された2011年7月2日でした。

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