丁度昨年の今日、原発損傷で、浪江町からの避難の方々が、2次避難の場所としてやってきた。行き場所も知らされず、不安を抱いて身の回りのわずかな荷物をもって。杖や、補助器具がなければ歩くことも大変な方々を含めて、バリアフリ−でない我が家にやって来た。これでは生活に支障があるし、役所に検討を依頼するというと、リハビリのつもりで生活するから、ここでよいという。何度も一次避難の所を渡り歩いたり、食事や生活環境の劣悪さに懲りていたのだろうと思う。何とか一緒に笑顔の浮かぶ生活を少しでも取り戻そうと、見知らぬ人々が気を遣いながらも、今にして思うと、心に残る時間を作れたように思う。仮設住宅ができ、約3ヶ月の共同生活から、個人の生活に戻っていった。この出会い、つながりを何らかの形で生かしておきたいと思い、月に1度は仮設住宅に訪ねている。同じ浪江町の方々が多く暮す仮設といっても、すぐにつながりを構築できるとは思えず気にかけていたが、介護度によって週何度かデイサ−ビスに通うようになってから、そこで職員、他の人々と交わることにより心配は少し薄れた。あたたかくなる5,6月にはみんなで我が家で同窓会をしたいと思っている。ほんの一時でも笑えたらと思う。