照葉

 
春真っ盛り、冬の名残をかすかに含んだ風の中をきらめく陽光は、スキップをしながら山々を、木々の間を渡っている。先日買い物に行った帰り、下校中の新1年生と出会った。早くもランドセルがいたにつき、自信満々の歩みに思わず微笑がこぼれた。車の中から聞こえはしないが、「おかえり」といってあげた。つい先日生まれた幼葉も今、ご覧の通り、新1年生ぐらいと思われる。葉もすっかり広がり、はっきりと葉脈も浮き立ち、やる気満々、自信満々。残念ながらまだ色は淡い。彼らがしなやかな体を、春の陽、風にささやくように揺れる姿は、遥か記憶の底に沈んでいる己が幼子の時を垣間見た思いがする。ほんのりと、苦く、甘く、酸っぱい。半そで、半ズボンが少し早く、額に汗をかきながらも、腕がひやっとした、日曜日のO君の家の前のレンゲ畑でございます。

at 13:43, オーナー, -

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どっこいおいらは生きている

 
昨年二次避難で我が家にいたIさんが、少し体が不自由であったにもかかわらず、石だらけの所を懸命に掘り起こして、植えてくれたタラの木は、前にもご紹介したとおり、しっかり根付いていた。平らな所なので雪に押されることはないだろうと、支柱も立てずそのままでおいたら、ご覧のように途中から折れ、頭の芽は枯れ、生きている様子は全くない。Iさんに申し訳ないのと、わが身の不覚を恥じていたところ、ある日脇芽がにょっきり。枯れずに生きていた。塞いだ心がいっぺんに晴れ、思わずバンザイ。立ち直りはいつものように早い。実は8本中、7本が、折れたり、傾いたり、駄目かと思われたが、見事に復活。根本から折れたものは、脇の地中から芽を出しているものもある。後1本、根本から折れたものも、脇から芽が出たら、完全復活。何故かここまで来ると、文脈的には昨年の震災、原発被害に結び付けて、ガンバロウなどと成るのだろうが、それはマスコミ的な、浪花節的論調に与することになりかねないのでやめる。とにかく良かった。Iさんに顔向けが出来る。

at 13:07, オーナー, -

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物は見ようで

 
春の苦味で冬の毒素を体内から排泄というのが漢方の考え方らしい。冬眠から覚めた熊も水芭蕉の葉の元の白いところを食べて、冬眠のための秋の行為便秘を、解消するという。代謝能力の回復というか、汚れちまった悲しみを少しは元気にしようかなと思い立ち、山菜を採りに行く。ヤマブドウの新芽もちょっと酸っぱくいけるのでと思い見ると、ご覧のような細い木に、わざわざというか、何でまた、アケビとブドウが一緒にツルを這わせている。住む所はいくらでもあろうに、ワンル−ムマンションのようなところに何でお前らいるんだと思う。若い二人の駆け落ちなのか、それとも押しかけ女房なのかという様子で二つが絡み合っている。大家は部屋の痛みもひどくさぞ困っていることだろう。しかし「若い二人のことだ。大人として、じっと見守ってやるしかないか」とため息混じりに一人大家はごちる。なんて落語の一場面を勝手に想像をめぐらし、ここの新芽は残しておいた。

at 11:51, オーナー, -

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奥ゆかしいのか、サボっているのか

 
今日は観光協会主催の裏磐梯の清掃の日であったがあいにくの雨で延期になった。雨に濡れた新緑は幹が濡れて黒味を増し、若葉の萌黄色が一層と映える。そんな思いで外を眺めていると、我が家の石楠花がいつの間にか開花していた。我が家の石楠花一家は12本家族であるが、毎年花をつけるのはたった3本。しかも花の数は多くても3輪。初めは油粕や鶏糞の肥料を毎年与えていたが、過保護がよくないと、2年前から肥料はやらない。それでも危機感を感じないのかいっこうに花はつけない。昨年までは奥ゆかしい者どもであるなんて余裕で眺めていたが、今年は「歌を忘れたカナリアは後ろの山に捨てられるのだぞ。お前たちも捨てるぞ。」と、少し脅かしてやることにした。果たしてどうなることやら。

at 11:13, オーナー, -

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みんな元気です

 我が家に二次避難でいらしていた方々の仮住いである、福島市、二本松市の仮設住宅を訪ねた。最低月一度はと思っているが叶わず、4月はいけなかった。今日、いつも米を送ってくれる茨城のIさんの米と、牛肉の八幡巻き、たまには手抜きもよいだろうとインスタント味噌汁を持って訪れた。約2ヶ月あいてしまい少し心配したが、みんな春の南風のように爽やかで、気持ちふっくらとした笑顔で迎えてくれた。仮設の住宅の道路も砂利道であったものが舗装され、みんなが毎日掃除をしているのだろうごみ一つ落ちていない。いろいろな情報は飛び交うが、いまだ、何処になるのかも含め、定住の計画も決まっていない。さぞや、不安、苛立ちの気持ちが錯綜し、辛い日々なのであろうが、長年の人生という経験知があるのか、日々の生活が落ち着いている。落ち着きをもって日々をこなし、耐えている姿には敬服する。内に溜め込まないように発散させる術もあるのであろうが、そこが少し心配。何が出来るのか、何が必要なのかわからないが、とにかく顔を出すようにとは思う。

at 19:13, オーナー, -

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春の大地はハ−レムなのだ。

 
いつも薪を買っている磐梯熱海の「きこり」さんは山菜、キノコ、山野草の店もやっている。そこから昨年嫁入りした「イワウチワ」。あまりにも可憐な様子に我が家の婿殿、土地とうまくやっていけるか舅としては心配していたが、うまくいっている証拠、かわいい花をたくさん付けた。このまま年を重ね、たくさんの子や孫を作り、反映してくれたらと、むしのよい事を考えている。雪が融けて、顔を出す土は、黒々としていかにも逞しく、腕まくりして「生き物を元気に育てるぞ」といっているように見える。一夫多妻であるから逞しいのか、逞しいから多妻なのかいずれにしても、一夫一婦の人間が妙にひ弱、いじけて見えてしまう元気印溢れる春です。

at 12:51, オーナー, -

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私も花です

 
午前中は魚協の湖岸清掃に出かける。桧原湖は満水で、思うような成果はない。農業用水の確保のためかと思われる。午後花見に出かける。桜は昨日にもまして花数を増やしていた。花の下の小豆餡は格別。桜花には爽やかな口解けの漉し餡が合う。妻は田舎餡が好きらしいが、ざらついたべっとりの餡は桜には合わないだろう。故に桜餅は晒し餡なのだ。餡はこれくらいにして、桜に負けず濃い桜色、赤紫のもみじの花が咲いていた。柔らかな幼葉に隠れるようにしとやかな装いは、春浅い空気にいかにもと一人悦にいる。自己中極楽親父を楽しんだ。

at 17:41, オーナー, -

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春の盟主

 
日本においては桜が春を告げ、人々の心も華やぐ。そういった意味では裏磐梯にも漸く春が来たことになる。街中のソメイヨシノのような艶やかさはないが、芽吹きも浅い広葉樹林の中では十分に主演女優を張っている。葉も一緒に咲く山桜を見ていると、桜餅を連想してしまうのは少し重度の病気か?明日は渋茶と桜餅で花見に決定。

at 12:12, オーナー, -

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私も・・・・です。

 
2回続いて白い妖精が続いたので、すこしクレ−ムが来そうなので今日は黄色い妖精。キケマンが一株。昨年2次避難で我が家に暮らしていた草取り大好きのIさんに除草されてしまった場所から奇跡的に種の存続を遂げた。花の始まりは、葉が変化していったらしいので、世の中の花は葉緑体が少し抜けたような、黄色が植物的には作りやすい色なのかと想像する。吸密をする虫たちには黄色は目立つ色なのか分からないが、多くの植物が黄色のままであることは、そこそこの実績があるのだろう。赤や、青、紫の花たちは差別化を図るために自分の色を選択したのだろうか、初めは黄色だったのかな。分からないことが次々と出てくる。今更子供電話相談室に訊ける年ではないし、困ったことだ。しかし、物忘れ得意の年齢なのでこのまま疑問は忘却という回答をえることになる。

at 11:04, オーナー, -

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私だってこれから

 
水芭蕉の開花状況を見に行くと、川沿いに1輪だけ、菊咲きイチゲが咲いていた。昨年までは確認できなかったので、きっと近くにある群落からやって来た種が新たな居場所を見つけたことになる。水芭蕉に比べ、固体も小さいし、一輪ではまだ幸せ売りの役は無理だろう。彼らが群落を形成し、水芭蕉レベルの注目度を得るにはどれくらいの時間が必要なのかわからないが、種の保存を使命とする生存競争を見守るしかない。この時期から、他に先駆け、いち早く開花し競争を有利に運ぼうとする春のエフェメラル、妖精たちが際立つ。会社にも、学校にも、そして我が家の庭先にもぴかぴかの1年生たちが新たな生を、初めはぎこちなく、やや臆病に、そしてやがて謳歌する春が目に見えてやって来た。

at 11:45, オーナー, -

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