沢沿いの緑陰空間が静寂を演出する二つの貸切り天然温泉露天風呂。春は水芭蕉、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪見と折々に様相を変える。食事は四季折々、地元の素材の旬の味を生かした洋食べースのスローフードをご用意して皆様のお越しを心よりお待ちしております。
夏になると画像の手提げを持ち歩く。今日近所のコンビニの奥さんに手提げを褒められる。自分で作ったものではないのに嬉しい。これは近くのお年寄りの作。「ひろろ」と言われる植物の葉を撚って細縄にして編んだもの。作者はつい先日亡くなった。手わざが一つ喪失したことにもなる。編む技は、ものが残っている限り継承は可能。しかし、材料を入手し、加工する技はものが残っただけでは継承されない。山ブドウの樹皮を加工して作る手提げは最近注目されているが、材料の入手、加工をする人が少なくなっているらしい。里山の文化は、注目されて、継承の流れが細々とながらつながっている。しかし、ひろろや、山ブドウの加工といった「奥山」の文化はほぼ消滅という状態のように思える。奥会津の三島町では、継承の流れが細々とあるようだが。この村でも炭焼きをしてできた炭を包装する炭俵を編んでいたようだが、炭俵自体がなくなっている。当然、技も無くなっている。
どんぶり金魚用のテーブルも完成。どんぶりは我が家にあるもので間に合いそうなので、先日金魚を買ってきた。ずっと買いたいと思っていた「ランチュウ」にした。店の水槽にいたものに、単に泳ぎがぎこちなくかわいいな程度であったが、その中から、1匹をこれと決め、ビニール袋に入った瞬間から、それは、自分が命を預かった、重い責任を負ったかけがえのない生き物になった。レジを済ませた瞬間から、酸素不足にならないように早く帰ろう。ゆらして車酔いにならないよう、急ハンドルはやめようなどと考えだす。2週間のトリートメントが必要と言う事で、0.5パーセントの塩水で飼っている。3日間の絶食も済み、現在はどんぶりの中で、快食、快便。慣れると、どんぶりの淵をたたくと寄って来て、手から直接餌を食べるようになりかわいいという。我が家の住人は慣れてないのか、臆病なのか淵をたたくと、怯えたような様子。懐いて手乗りのような状況を特に望つもりはないが、餌を与えた瞬間に逃げるようになるのは少しせつなくはある。
名前もいろいろ考えたが、雌雄が分からないので、「らん」と言う事にした。なんの思い入れもないようだが、尾びれを揺らし、体をくねらせるような泳ぎは、幼児のよちよち歩きを想起させるので、この個体は金魚というより、「きんとと」という幼児語があっているように思う。少しだけ親バカが入ってきそうで怖い。
先日覗いたときに卵だけがあり、親はいなかった。卵は孵化するまでずっと抱き続けるものと思っていたので、不安になった。途中覗いたのが良くなかったかと思い、しばらくそのままにしていた。最近、親鳥の鳴き声を聞くようになったのでおっかなびっくり覗いてみると、4つの卵すべてが孵化し、目も明かない雛が4羽いた。子育て放棄ではなかったと安心するとともに、私が邪魔をしたわけではないとまた安心。
雛は、そっと覗くと寝ているが、少し音を立てると、親がえさを運んできたと思い、一斉に顔中口にしてなく。生きようとする力の貪欲とも思える様を立つこともできない雛に見せられ頭が下がる。4羽では親も大変だが、巣を発見されないように注意しながらせっせと餌を運んでいる。雛もすごいが、あの小さな体で親もすごい。
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