「さくらです。」

 早春の森で一人注目を集めていた山桜は花を落とし、舞台を降り初夏の森の緑の一員になっている。その後の舞台にのぼるべき候補は沢山いるが、どれも主役を張れないでいる。

 そのなかの一つが画像のイヌザクラ。画像では、桜であることが確認できないが、間近にすると、小花の集合体で、一つ一つは立派に桜そのもの。可愛いものだが、いかんせん個体のサイズが小さすぎるし、色が桜色でない。

 そんなわけで、イヌなんて失礼な名をちょうだいするはめになったのだろうと思える。房状のものを、一花づつ分解して、並べて拡大したら、イヌなんて言う名では呼べないほどに美しい。主役は張れなくても、初夏の名脇役というポジションもそれはそれで、よいものだとも思うので、イヌザクラの立ち位置に拍手を送ることにした。

at 16:32, オーナー, -

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いつの間にか

 つい先日まで「新緑はかわいいね」等と、その淡い緑に目を細めていたが、気がつけばいつの間にか万緑の豊かな森に成長していた。はたしてこの森に何色の緑があるのだろうか。識別不能に思える多様な緑色がめのまえにあると、思わず深呼吸をしてみたくなる。

 海の子は、千里寄せ来る波の気を吸って童になるそうで、これは元気な子を育む大切な要素だろう。山の子は、山から沸き立つ万緑の森の気を吸って、元気な童になるのだろう。

 つい先日、エゾヒグラシも鳴き出した。北国は短すぎる春を一気に駆け抜けて、初夏に入ったようだ。画像は近くの曲沢沼。写真愛好家がよく作品にする、湖面に写る緑を撮ってみた。

 

at 13:50, オーナー, -

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三人静

一昨年友人から頂いたヒトリシズカ、昨年は1本だけ咲いた。今年は芽を確認出来なかったので、咲いた場所をユキワリソウを植えるために何度も踏んでいた。昨日気がつくと私が踏んでいなかった所に、3本だけがひっそりと、将に周囲に気兼ねするかのように、静に咲いていた。もしかしたら、先日私が踏んでいた場所にも、新しい命が沢山あったのかもしれない。

 今年の3人静が頑張って仲間を増やしてくれたらと思う。勝手な物言いだが、自分には成す術がないのがもどかしく、あなた任せでしかない。小さな命を預かるというのは、こういうことが沢山あることの自覚を強いられることでもあるのだ。少し周りを耕してより良い住まいだけでも用意しようか。

 

 

at 17:53, オーナー, -

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やったあ〜

 我が家に顔をみせる花たちに格別にランクをつけているわけではないが、白い大振りの花をつけて、ぱっと散る。そこにひかれ、4年前から買い足しているヤマシャムヤクが昨日の夜、一斉に開花した。あいにくの雨で花は傷んでいるが、十分に満足。

 昨年以来、人気がでたようで、価格も上がり、手にいれ難くなった。この花が種をつくり、我が家で増えたらと思う。九州には大群落があるらしいが、我が家小さなまとまりにでもなったら、何て贅沢なことを考えてしまう。花を愛でるだけで終わらない欲深い奴です。

 

 

at 11:29, オーナー, -

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孤軍奮闘が続く

 我が家には十数本の日本シャクナゲがある。数年かけてこつこつ集めた。肉厚の重厚な緑の葉のなかに薄い花弁の桃色の花が乱舞する姿を夢見て。

 しかし、何年たっても花をつけることはない。木自体は葉の艶もよくいたって元気なのに。そんななか、わずか2本だけが、毎年花をつける。それは数年前に友人から頂いたもので、木はくねくね曲がり、枝や葉の数も少なく元気そうには見えない。

 安定せず、危機感があった方が花をつけるのだろうか。毎年「来年花をつけないと、切っちゃうぞ」とおどかしているのだが、馬耳東風、今年も葉の芽だけつけて涼しい顔をしているものがたいはん。

at 12:16, オーナー, -

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五分五分で

 買い物に出掛けた。でも、もうひとつ気になる事があったのっで、いつもと違うルートで出かける。主たる目的買い物、極太アスパラは空振り。二股かけた報いか。

 でも、もうひとつ気になる方は正解。画像のようにニリンソウがいつもの場所に、昨年を上回る面積で満開。アスパラ探しがあるので、すこしの間でお別れする。二股は忙しい。「来年またね〜」ということにした。

at 13:57, オーナー, -

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初めの何歩か

 シラネアオイが花を落とした。気付けばモミジの雄花も沢山落ちている。それぞれが役割を終えたのだ。桜の花弁が散って川面に浮かぶ姿を花筏といって人は愛でる。シラネアオイやモミジの雄花の落花を愛でる人はいない。然もあらんではあるが、身びいき承知で、やや不満が・・・。

 シラネアオイ自身なにも感じないし、不満など全くないはず。彼らは種の保存のために日々邁進するだけのはず、私自身、シラネアオイの落ちた花弁に目をとめたのは初めて。青紫を一層濃くして、地面にある姿は、あるしゅ何かを成し遂げた達成感、役割という拘束を解かれた解放感のようなものが自分自身の存在をもときはなつ、終焉の美のように思えてならない。終わるということに美が存在することを久しぶりに目の当たりにした。

at 20:52, オーナー, -

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みんな並んで

 我が家の前の度止めに沿って一列に楢が発芽して本葉を出している。昨年落ちたドングリが斜面を転げ落ちて壁で止まり、発芽したので、列をなすことになったのだろうと思える。小さいのが並んでいると、幼稚園児の行進のようにも思える。

 単に「かわいい」で済ませても良いのだが、彼らには守ってくれるものはない。生まれ落ちてからすぐに、生存競争が始まる。しかも過酷な。それが証拠に回りに1年を過ぎて育ったような若木は全くない。毎年同じようなことが繰り返されているはずなのに。ドングリ自体多くがその段階で昆虫に卵を産み付けられる。発芽だけでもかなり厳しい。発芽しても出る杭は打たれるかのようなことが待っているのだろう。まともに樹木として認識されるまでになれるのは、ドングリのなかのなんパーセントなのか。きっと驚きの数字なのだろう。

at 13:40, オーナー, -

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今年も同じところに

 昨年から我が家にもスミレが住みだした。周辺にはけっこうあるのに、なぜか我が家にはと思っていたが、とうとうやって来たとの思いが強い。

 彼らにとって我が家はあまり住み心地はよくないらしい。彼らが根をおろしたところは、ほとんどが岩と岩、コンクリートの割れ目といった土が少ししかない劣悪な場所。新参ものだからと遠慮しているのだろうか。としたら、謹み深い良い子ということになる。

 でもきっと、その矮小で、生きるには過酷な空間は他のものが侵入してくる可能性の少ない、快適空間との判断かもしれない。とすると、戦略的なお利口さんということだ。

 いずれにしても、我が家という矮小空間で過疎地域でもあり、流入人口も少なく、他との交わりが少なく、故に軋轢も生まれようもなくのんびり過ごしている私も、戦略的ではないが、スミレと同じ生き方をしているのだろうか。

 

at 14:58, オーナー, -

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春は地面から

 芽が地面から顔を出してしばらく変化がないと思っていたら(こちらがずいぶんと気が急いたせいでもあるが)、いつのまにか沢山の葉をだし、花芽13個もつけて、まさににょっきりと顔を出して、今日開花した。

 春は地面からやって来るというが、確かにわずかな気温の上昇とともに、全くなにもなかった所に多様な植物が芽を出す。心待にしていたシラネアオイがこんなにも多くの花をつけて我が身を楽しませてくれることが、春に喜びを感じるということなのだろう。まだもう幾つか開花をまっているものがある。後何回か春を喜べる。なんと幸せな我が身であることよ。と、豪傑笑いをしたくなった。

 

 

at 17:29, オーナー, -

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