沢沿いの緑陰空間が静寂を演出する二つの貸切り天然温泉露天風呂。春は水芭蕉、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪見と折々に様相を変える。食事は四季折々、地元の素材の旬の味を生かした洋食べースのスローフードをご用意して皆様のお越しを心よりお待ちしております。
露天風呂の前に植えたヤマシャクヤクがこの時期になるときにかかる。数年前にであってから出会って一目惚れ、毎年少しづつ増やしている。やがては露天風呂の前を一面埋め尽くしてみたい。
彼らの住んでいる場所は、毎年、屋根の落雪におおわれ、何度も除雪車の走行によって踏みつけられている。そのため、一時も早く生存確認したくなる。画像のように今年も無事。すべての株を確認したわけてではないが。彼らの逞しさに驚く。
植物は自ら危険回避は出来ない。あらゆる危険、困難を自ら克服するしかない。耐えてこそ、花実が咲くのである。それ故に、その姿は人々を感動させるのだろうかと思う。はやくも、開花の姿を想像する。
今朝は寒の戻りでも言うのだろうか、風も冷たく、小雪もちらついている。雪の融けた庭が一面異様に盛り上がっている。霜柱と認識するのにしばしの間がいった。なにしろ、霜柱を意識した明確な記憶は小学生の頃だからだ。
畑の霜柱を踏みながら登校していた記憶は鮮明にある。あの「さくっ」とはかなくくずれる感覚と、精密な構築物のようにも見える物を躊躇いなく破壊しまくる子供特有の残虐性とが相まって、嬉々として破壊しまくっていた。
本当に久しぶりに眺めてみる。ギリシャの神殿建築のように真っ直ぐに伸びた氷の柱は壊すにはしのびないとおもう。あの頃の残虐な心根はどこにも残っていないのだ。雪国では冬に霜柱を意識することはほぼ無い。今でも実家の方では霜柱は立つのだろうか。
昨年末正月飾りのつもりでヤブコウジを買った。センリョウやマンリョウが一般的だが、我が家の経済状況には相応しくないし、もともとヤブコウジが好きだし、赤い実が数個なのも我が家らしいとも思えた。
どの程度の低温に耐えられるか分からないので、ずっと温室のような暖房にきく部屋に置いておいた。すると2週間前くらいいに小さな若葉が顔を覗かせ、今は立派に大きくなった。春には地植えにしようと思うが、温室育ちが根付くか少し心配。
少し調べてみると実は、ヤブコウジは別名十両というらしく、1両、100両と言われるものもあるらしい。我が家に相応しくないしのは、1両かもしれない。でもヤブコウジが好きだから、10両で勘弁してもらいたい。
冬の間、深く雪に埋もれ所在が特定不能状態であった鋳物の灯篭が、ひょっこりかおをだしている。先日の降雨でかなり雪融けが進んだ結果だろう。間もなく山も木の回りから円く雪が融けだす。「木の根明け」という。「角川の俳句歳時記第5版春」ではこれが新季語として載るとのこと。
一方、「絶滅寸前季語辞典」という文庫があるように、実態が希薄、消滅により作句自体が減ると季語として消滅することになる。
震災により、避難を強いられた地域は、7年がたち、物理的に地域はあっても、戻る住民が減り、地域の文化、伝承も共に消滅の危機にある。「祭り、行事等々、そして方言」も消滅の道を歩み始めている。
歳を重ねて、胡座を何時もかいているためか、外くるぶしが角質かして痒くなってきた。皮膚科で保湿剤を処方された。さらに、固形石鹸の使用を指示される。
色々試した結果、マルセイユ石鹸がよい。お客様のHさんお手製のオリーブオイル100%の物を頂いたり、オイル40%のものを使っている。
長谷川利行展のことで、昨年11月に行った美術館で、アレッポの石鹸を購入したこと思い出す。ちょうど石鹸が小さくなったので新しく石鹸をと思っていたところ。タイミングの良さに思わず笑み。購入した物は、オリーブオイル60:40ローレルオイルのもの。添加物はないので、私の皮膚にはよいだろう。シリアのアレッポは今は大変な状況だろうが住民の安全を願いながら、アレッポの石鹸を使い続けることくらいしか私には出来ない。
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